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「障害者施設で1352人が虐待被害 厚労省「通報徹底された」」(福祉新聞 2024/1/12)より

厚生労働省庁舎

 

厚生労働省は12月20日、2022年度に都道府県・市町村が対応した障害者虐待の状況を発表した。障害者福祉施設職員による虐待として通報されたのは4104件で、そのうち自治体が虐待と認めたのは956件、被害者は1352人だった。いずれも過去最多を更新した。

 

21年度の障害報酬改定で、虐待防止の責任者を明確にすることなどを施設に義務付けたため、厚労省は「虐待を見逃がさず通報することが徹底された」とみている。(続く)

(2024.1.12福祉新聞Web https://fukushishimbun.com/series06/33154

 

記事の続きでは、虐待を受けた方のうち2名は亡くなっているという内容もあり、「虐待を見逃がさず通報することが徹底された」という見方が本当ならばよいことだと思います。

 

そう思うと同時に私の心によぎったのは、「『障害者』という言葉を、この国はいつになったら葬るのだろう」という思いでした。

 

言葉が許す範囲で人は行動してしまうものです。「キモイ」と投げつけられた人には、「キモイ奴」という他者の対応が襲ってきます。その人の人格的価値とは無関係に貼り付けられるそのような言葉は、暴力などにつながる道を作ってしまうものではないかと思うのです。そのような行動化への道を断つ一つの方法として、「障害者」という言葉は止めませんか、と言いたい。

 

人間の肉体や精神は、強さもありますが、一方で豆腐みたいな脆さを持っています。足や手がなくても、目や耳が聞こえなくても、精神的な病を持っていても、それが何ですか?そんなものは、背が高いか低いかレベルの人間の普通にあるバリエーションに過ぎず、差別の理由にはなりません。

 

「そんな深刻に考えなくても」と言われるかもしれません。確かにそうです。虐待は「障害者」という言葉があるという理由だけで起るような単純なものではないですから。社会的な価値観が職員にどのように内在化しているか、ということなども含めて複合的な対策が必要だと考えます。でも、私がここで言いたいのは、言葉の力を少しでも知るソーシャルワーカーとして、「言葉の力」は侮れませんよ、ということです。

 

「Challenged」はいい言葉だと思います。でも、そこまで持ち上げなくてもいいような気もします。しかし、普通に、誰もかれも私と同じ「~さん」で尊重し合える時が来るまでは、「Challenged」ような言葉は必要なのかもしれません。「障害者」なんて言葉は早く過去のものとして葬られた方がいい。そう思います。